合気道が好きですが、お祭りも好きなんです…いえ、当会の会員の話ですけどね。

 今年も深川八幡祭りが開催されました。当日の見物客は50万人、担ぎ手だけでも3万人と言われるこのお祭りに、今回も江東区合気会の会員は各町内で多数参加していた模様です。

富岡八幡宮例大祭2017
2017年8月13日。今年は富岡八幡宮での3年に一度の本祭りでした。

 こちらは合気道のサイトのはずですが、今回は特別編としてお祭りがテーマの記事になります。題して…「やっぱり祭りが好き!」

深川八幡祭りって!?

 毎年8月15日頃に行われる深川八幡祭り(富岡八幡宮例大祭)は、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられる江戸屈指の大祭です。

 3年に1度、八幡宮の御鳳輦(ごほうれん)と各町内の町神輿が連合渡御(れんごうとぎょ)を行う年は本祭りと呼ばれ、50数基の町神輿が深川界隈を連なって渡御(いわゆる担いで練り歩き)する光景は迫力満点、これぞ日本のお祭り!なんです。

 2017年の今年は本祭(ちなみに本祭⇒御本社祭⇒陰祭というローテーションです)でした。三種類の例祭の中でも、当然一番盛り上がるのは本祭!というわけで、今年に入ってから祭り関係者(当会は祭り関係者が非常に多い)の方々は、6月頃から道場で会っても何かと忙しそうでした。

 深川八幡祭りの歴史は1642年8月15日(諸説あり)、時の将軍、徳川家光公の長男誕生の祝賀祭として始まり、やがて夏のお江戸の一大イベントに定着したようです。

永代橋の上
永代橋の上は過去・現在問わず人気のスポット。担ぎ手もここで担ぎたくて張り切ってしまうんです。

 その人気ぶりはすさまじく、1807年の本祭りでは、祭り見たさに押し寄せた江戸っ子の重みに耐えきれずに永代橋(隅田川にかかる橋です)が崩落してしまい、1500人規模の死者が出る大事故が起こったほど。痛ましい事故ですが、当時の江戸っ子たちの祭りへの熱狂ぶりを今に伝えるエピソードでもあります。

神輿と言えば深川!

 そんな江戸の祭りの中でも「神輿と言えば深川」と言われるくらい深川っ子の神輿へのこだわりはハンパないそうで、その昔、深川に住んでいた、時の豪商、紀伊国屋文左衛門(みかんで財を築いたと言われる材木商)が総純金張りの神輿3基を奉納し、宮神輿(いわゆる神社所有の神輿。各町内が担ぐものは町神輿)としたことから「神輿深川」と呼ばれるようになったとか。

 そんな豪華絢爛な宮神輿ですが、何と関東大震災で焼失!現在の宮神輿は1991年(平成3年)に当時の佐川急便の会長さんが奉納したものだそうです。

 ちなみに、この現在の宮神輿のスペックはというと…総重量4.5トン!使用された純金は約24㎏!ダイヤモンド十数個(最大7カラット)を使用!ちりばめられたルビーの数は何と2000個!その他プラチナ・シルバー・宝石多数を使用…!推定になりますが一桁億円で済まないですよね!?

 とにかく大きさ・重さ・豪華さで間違いなく日本一の御神輿である富岡八幡宮の宮神輿(一の宮)ですが、そのあまりの大きさと重さに担ぐのが現実的に難しいことが判明し(!)1997年(平成9年)に、担げるサイズの宮神輿(二の宮)を改めて作ったそうです。

二の宮神輿渡御2003年
2003年(平成15年)8月3日の二の宮神輿渡御の様子。この年は江戸開府400年記念と深川神輿の皇居前拝礼55年を記念して二の宮神輿での皇居前拝礼を行いました。江戸幕府の命により祭りが始まったということもあって、江戸幕府や江戸城跡である皇居にお住まいの天皇陛下に関連のある年には皇居前まで神輿を担ぐことがあるそうです。

 当時を知る人の話によれば、一の宮は一度だけ担がれたことがあったそうで、その時は総勢3000人くらいで担いだとか。渡御体験者でないとわからない話かもしれませんが、実際は何キロもの道のりを、ずーっと神輿を担いでいることは厳しいので、交代しながら担がなくてはなりません。

 道幅の狭い道路とか、そんな大人数で練り歩くのは不可能ですし、高価すぎて問題があるということもあるのでしょう。

 担いでいる最中にルビーがポロッと落ちたりしても大問題ですよね(汗)。

 そんな理由から半ばコレクターアイテムのような一の宮ですが、二の宮も十分豪華な造りで総製作費は推定一億円!大作はムリでも佳作くらいの映画なら十分作れる製作費では!?

 個人的には一の宮が渡御するお姿を見てみたい(担いでみたい)ものです。永代通りだけとかで10年に一度くらい…とかムリかなー。

 ちなみにこちらの一の宮を作成された浅子神輿店(行徳市)は残念ながら今はもう存在しないとのこと。室町時代から続いた500年以上の歴史に幕を下ろし、2007年に惜しまれながら閉店してしまったそうです。

最大の特色は「水かけ」!

 深川八幡祭り最大の特色は何と言っても「水かけ」にあります。その名の通り渡御中に沿道の至る所から担ぎ手に水をかけることから「水かけ祭り」とも呼ばれているのです。「水彩都市江東区」の名にふさわしい祭りと言えるでしょう。

 一般家庭のホースからの水などはかわいいもので、特定の箇所では消防設備の放水や、トラックの荷台に防水シートを張り、水をためて仮設プールを作り、その上から水を数十人がかりでバケツで担ぎ手に浴びせかけるような荒業もあります。

佐賀町名物トラック水かけ
佐賀町名物「トラック水かけ」。ちなみにトラック水かけの元祖は佐賀町とのことです。担ぎ手はグレートサブーンどころではないくらいに大量の水がかかります。

 意外なことにこの水かけ、江戸時代から続くものではなく、昭和初期頃からのものだとか。そもそもはお清めの風習で足元にかけていた水が、暑さ対策に変わったそうです。近年は温暖化が進んで形容しがたい暑さですが、真夏の暑さも極まる時期なので、担ぎ手としては嬉しい風習ですね。

本祭り当日の様子は

 当日の集合時間は各町会によって違うのですが、佐賀町は午前6時に集合します。八幡様(スタート地点)から遠い町会は5時頃に集合なんていうところもあるみたいです。

 朝早いのが苦手な方には厳しいかもしれませんね。

佐賀町の御神輿
佐賀町の神輿は戦前にフランス万博に出品するために、当時の最高の技術を結集して作られたものを佐賀町が譲り受けたものだそうです。(出所:わっしょい深川)

 集合場所に集まって、法被、半股引(はんだこ)、足袋を装備すれば、いよいよ心身ともに祭りモードに切り替わります。一年ぶりくらいに半股引をはこうと思うと「あれ?これでいいんだっけ?」となるのは祭りあるあるですかね。

 深川八幡祭りは衣装もですが、担ぎ方、掛け声までに統一ルールがございます。揃いの衣装で、足並み揃えて「わっしょい!」の掛け声で渡御することから、美しく調和のある祭りが成り立っているのでしょう。各々が無手勝流な担ぎ方や掛け声では、けっして生み出すことのできない様式美でございます。

 今でこそ一般庶民も(ツテさえあれば)参加できる深川の祭りですが、江戸時代は町民・商人の裕福な層しか参加できなかったとか。祭りだけではないですが、いい時代に生まれたものだな、と思います。

 スタート地点では各町会の神輿50数基が集結していて、それはそれは壮観の一言です。江東区合気会の会員の姿が町会を超えてチラホラと見受けられます。

 普段は一日中、車で溢れかえっている永代通りも、この時間帯は完全通行止め。なんせ交通ルールより祭りの方が先にあったのですから、この日くらいはご迷惑をお許しください。

江東区合気会と祭り
渡御スタート地点にて。会員の皆さんの楽しさが伝わってくる一枚です(もちろん、合気道の稽古中でも楽しそうな表情をよく見ますけどね)。

 定刻になり開始を告げる花火が上がると連合渡御の始まりです!

 各町会が順番に担ぎ出して、いよいよ自分たちの番!威勢のいい掛け声とともに、力強く神輿を担ぎ出します。総距離8kmほどの、長い渡御の始まりです。

神輿連合渡御のルートは

 連合渡御の巡行ルートはメインは江東区ですが、中央区の箱崎、新川も通ります。

 富岡八幡宮前をスタートし、まずは永代通りを東西線木場駅に向かって巡行します。木場駅を超えて大門通りまで到達すると、左折して大門通りを北上します。

 その後、東陽六丁目、石島と抜けて、扇橋小学校前を左折します(ここでは清洲橋通りまで行かないのですね)。ここから先頭は清澄庭園前まで行き、殿(しんがり)は現代美術館の北の通りくらいで止まり、小休憩を取ります。

 小休憩後は清澄通りに出て、再びメインストリートを巡行します。清澄の交差点を左折して、清洲橋通りを西に向かうと見所の一つ、清洲橋を渡ります。

 清洲橋を渡り降りると、中央区に突入です。日本橋箱崎町を抜けて、新川(茅場町の裏くらいになります)にて、ようやくお昼休み。朝早いというのもあって、道端で寝てる人も。

 休憩を終えて再び永代通りまで出れば、いよいよクライマックスに向かいます。山場は永代橋の上、佐賀町名物トラック水掛け、永代出張所前の消防団からの放水、門前仲町前の交差点、そして富岡八幡宮前でゴールとなります。

深川八幡祭りの見どころ!

 見どころは本当にたくさんあるのですが、ここ!という場所をリストアップしてみました。

永代通り

スタート地点でもあり、フィナーレの場所でもある富岡八幡宮前の永代通りは一番の見どころです(一番混雑する場所でもありますけどね)。

永代通りの渡御
各町会数百人がかりで交代しながら神輿を担ぎ、江東区内と中央区内の決められたルートを巡行します。佐賀町だけでこの担ぎ手ですから、55町会も集まると、どれだけたくさんの人たちが祭りに参加しているかお分かりいただけるかと思います。
各町内会の神酒所

 お神輿巡行の技法(?)に揉み・差しという担ぎ方があって「揉み」は神輿を腰のあたりまで下ろして担ぎ手全員で揺らします。一定の回数を揺らすことを「揉み」、その後、合図とともに担ぎ棒を手で頭上に持ち上げ、片手で支えながら「差せ!差せ!」の声に合わせてもう一方の手で棒を叩くことを「差し上げ」と言います。

深川祭り差し上げ
消防隊の大放水とともに差し上げ!大量の水を頭から浴び、声を出しながら神輿を高く持ち上げます。

 基本的に各町内会の神酒所の前で行うので、深川に引っ越してきたばかりの方はお近くの町会前で見てみてはいかがでしょうか。

清洲橋の上

 清洲橋の上も中盤の見どころの一つです。消防隊による一斉放水と隅田川にかかる橋の美しさが、とても絵になります。

江東区と中央区をつなぐ清州橋。隅田川にかかる勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定されています。

 消防隊からの大放水を浴びると、真夏の蒸し暑さが和らいでいき、子供の頃に学校のプールで嗅いだことのある、何だか懐かしい匂いが立ち込めます(平たく言えば塩素臭)。右手に東京スカイツリーが大きく見えて、その景色は祭りがない日でも素晴らしいですよ。

永代橋の上

 永代橋の上は深川八幡祭りでの山場の一つです。

永代橋の上
元禄11年(1698年)8月に架けられた永代橋。赤穂浪士の討ち入りや狂歌、古典落語などにも登場する由緒ある橋です。先に紹介した落橋事故だけでなく、関東大震災の時には多数の避難民とともに炎上し、多くの死者を出したことも…

 橋の上で観覧していると次々に来る神輿に圧倒されます。また永代橋の上では担ぎ手たちがここぞとばかりに張り切ります。「差し切り」といって差したまま渡御したり、橋の中央で激しい揉み・差しを繰り返したり…永代橋の上は担ぎ手たちの汗と熱気が一番伝わってくる場所と言えるでしょう。

終わりに

 連合渡御が終わると、神輿は各町会へ戻り、町内を巡行して、最後に手締めを行い、本祭りはお開きとなります。

 夜も更けるころ、永代通りはいつもの喧騒を取り戻し、門前仲町界隈は祭り関係者の方々がそこかしこでお酒を嗜んでいらっしゃる光景を目にします。

 本祭が終わると各町会に作られた神酒所などは解体され、各町会の町神輿はまた次回の本祭りまで神輿庫にしまわれて、3年間の眠りにつくのです。

 江東区合気会に入る前は知らない世界でしたが、こうして縁あって参加させていただき、名高い「深川八幡祭り」を大いに楽しむことが出来て、幸福だなー、と思います。

 勿論、関係者の方々がこの昔からのお祭りをみんなで守って、成り立っていることを忘れてはなりません。

 佐賀町の睦会(むつみかい)の方々、各町会の関係者の方々、そして江東区合気会の出会いと御縁に感謝して…「やっぱり祭りが好き!」